ドイツ西部の街、ケルンから時々出かける旅の
記録。ケルンに来る前に住んでいたベルリンから出かけた旅の思い出も入っています。 このブログは「離れ」です。 「母屋」はこちらです。 「今のベルリンのお天気は?」 コメント、リンク、トラックバック歓迎ですが、特定の販売サイトへの誘導や本文の内容と全く関係ないものは削除させて頂くことがありますのでご了承下さい。 カテゴリ
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(この下の投稿、「ドレスデン・一日目」からお読み頂く方がいいかもしれません。) 今回、泊まっていたところはドレスデンの中心、ツヴィンガー宮殿から近い ポストプラッツからバスで20分くらい、雰囲気はちょっと郊外の住宅街で、 ほぼ普通の家。「民宿」というのがぴったりな感じもします。 (「ペンション」だったんですけどね。) 着いた日は部屋に案内されて、窓から外を見ても何も見えない。 真っ暗。住宅街だし、ドイツの家は防音、防寒のために二重ガラスの 窓がきっちり閉まるところが多いので、物音ひとつしません。 都会暮らしで夜中でも外がうるさいのに慣れている私には静かすぎるくらい。 翌朝、夜が明けてから外をみたら、その家の裏庭に面していました。 その日は街へ出てまず戦後六十年を経てようやく昨年、落成式を迎え 再建されたフラウエン教会へ。元の教会は十八世紀の建物だったそうですが、 1945年2月13日、14日両日の爆撃の後、15日にすっかり崩れ落ちてしまった そうです。 間に合うように、十一時半ぐらいに行ったのですが、すでに入るのに行列が。 そして入ってみると席がもうあらかた埋まっているくらいの人気。 新たに作り直したものが見事に融合しています。 ただし、どこまでが「本物」でどこからが「再生」かがわかるように金の装飾が 古いものはつや消し(マット仕上げ)、新しいものはつや出し(グロス仕上げ)に なっているそうです。 正午のオルガン礼拝は30分足らずの短いもの。 それに続いて、教会の簡単な歴史と内部装飾とについての解説もあります。 小一時間ですべて終わると出口のところで献金して帰る仕組みです。 フラウエン教会には出入り口が三カ所ほどあるのですが、出口のひとつの 脇にオリジナルの教会の屋根に載っていたのが落ちてしまった十字架が 飾ってあります。歪んでしまっているのがわかるでしょうか。戦禍を忘れない ためのシンボルです。現在の新しい屋根の上の十字架は当時、街を爆撃した イングランドから和解の祈りをこめての贈り物だそうです。 美しく再建されたバロック教会内部で心洗われるひとときを過ごすことが出来ました。 次に訪れたのはゼンパーオーパー。ドレスデンのオペラ座です。 換算できないほどの莫大な費用と人々の努力によって再建されたそうです。 本当はこの日の夜にあったモーツァルトのオペラ、「後宮からの逃走」が 見たかったのですが、すでに売り切れ。開演一時間前にオペラ座内の 窓口で戻ってきた分を売り出しますよ、とチケットオフィスの人に言われた のですが、翌日のマチネの「フィガロの結婚」に望みを託して、諦めることに。 代わりにオペラ座内見学ツアーに参加することにしました。 ガイドさんが一人ついて、十五人ほどのグループを解説しながら回ります。 新古典主義でイタリア風な内装は大理石をふんだんに使った豪華さ。 ただし、壁は大理石に見えますが、大理石の模様を描いてあるのだそう。 でも本物みたいなその技術。さすがです。 この日はこの後、「ケストナーミューゼウム」にも行きました。 「点子ちゃんとアントン」や「エーミールと探偵たち」を書いた エーリッヒ・ケストナーの博物館ですが、ケストナーのおじさんの家(だったかな?) を改装した、小さな小さな博物館、展示館です。 行ったら職員の若い女性が出てきて、荷物はこちらへどうぞ、コートはここに おかけください、とまるで個人宅に行ったみたいに言われ、入り口廊下に 並んでいるケストナーがドレスデン時代(彼はドレスデンで生まれ、ライプツィヒの 大学に行くまで住んでいたそう)に住んでいた家の写真などを見せてくれながら 短い解説をしてくれました。 展示スペースにはケストナーのいろいろな解説や写真が小さなカードになって タンスの引き出し(!)に収まっています。訪問者は引き出しを開けて、ケストナーの 秘密を探る、みたいな面白い趣向。その引き出しタンスの合間合間に各国語に 翻訳されたケストナーの本も何冊かあって、日本語版がたくさんあったのには 驚きました。そういえば岩波から出ているケストナーの本は小学校の図書館に 揃っていた記憶があります。 カードや本は自由に閲覧出来るので、本の中の一冊、「わたしが子どもだったころ」 を(日本語で)読み始めました。冒頭部分はドレスデン時代の話です。 今日見て来たあたりの話、さっき廊下の写真を見てきた家のこと、お父さんが 腕のいい革細工職人だった話、等々・・・。 夕方六時の閉館まですっかり座り込んで読みついてしまいましたが読み切れず、 後ろ髪を引かれる思いでそこを後にしました。 展示館の塀にアルバート広場に面して座っている少年像がありました。 「わたしが子どもだったころ」にエーリッヒ・ケストナー少年が塀に腰掛けて、 アルバート広場を眺めるのが好きだったというくだりがあるのだそうです。 座っているのは少年ケストナーなんですね。 「ドイツ語で買って読めよ。子供の本なんだからキミだって読めるだろう?」 とは後から相方に言われたのですが・・・高橋健二訳で日本語で読みたいよう。
by akberlin2
| 2006-03-27 03:54
| Dresden
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