ドイツ・たび・旅 (ケルン、るんるん♪別館)
2007-12-01T04:44:28+09:00
akberlin2
ドイツ発、国内・国外の旅の記録
Excite Blog
日暮れの早いストックホルム
http://akberlin2.exblog.jp/6941794/
2007-11-28T02:39:00+09:00
2007-12-01T04:42:42+09:00
2007-11-28T02:39:05+09:00
akberlin2
Stockholm
船の中にはテーブルと椅子。テーブルの上にコースを記した地図が
あり、ヘッドホンで各国語の解説が聞けます。スウェーデン語、英語の他
ドイツ語、フランス語、イタリア語、スペイン語、中国語、そして
日本語もありましたが、ストックホルムッ子のための、という
スウェーデン語の解説もありました。よそからのお客さんを連れてきた
地元の人にも地元を見直すいい機会なのかもしれません。
日本で「江戸っ子のための隅田川下り」とかあったら私もやってみたい
ものです。
ざぱざぱざぱ〜、と波越えて。50分あまりの船旅でした。
船から降りたら小腹がすいて、どこかでなにか食べたいね、という
ことに。でもその付近ではどうも適当なところが見つからず、中央駅
周辺の方まで歩いて、さらに市庁舎まで歩いて。お腹がすいてるところを
歩かされて独欧州、だんだん機嫌が悪く・・・。途中で屋外アイススケートリンクを見つけたり、ストックホルム随一の高級デパートを冷やかしたりしながらぶらぶら歩いて。「あの建物が見たい」と相方が指差した先は市庁舎。
市庁舎というのはドイツでは少なくともレストランがついていることが
多い。あったかいものがあるといいね、と言いながら歩いていったものの、
土曜日の夕方という中途半端な時間には開いておらず。さらに歩いてようやく小さなカフェを見つけました。なんとなく東京にもありそうな、暖かい手作り感のあるお店でした。
寒い中を空腹で歩かされた相方はかなりご機嫌ナナメで到着したの
ですが、ラザニアを食べてコーヒーを飲んだら機嫌も回復。
わかりやすい人です。人間的、ともいえるのかも知れませんが。
そんなこんなで日の短い一日は暮れ、あっという間に真っ暗。
寒いし、もう外歩きはしたくない。
持っていたガイドブックを眺めていた相方が「映画、見に行こう。」
と言いだし、市の南側にあるマルチスクリーンの映画館へ。
「なに見る?」と言ってあまりコレ、という映画がありません。
アメリカのバカバカしいコメディーも見たい時は見たいけど、今日は
気分じゃない。ホラー映画もイヤ、アクションものもイヤ、となると
残りはスウェーデン映画の推理もの。「・・・スウェーデン語だよ、コレ。字幕もついてないし。英語でもないし。」
と私は異を唱えたのですが、相方は映画館に置いてあったスウェーデン語の
無料映画情報誌をパラパラとめくり、スウェーデン語をじっと眺め、
「フーム。どうやら女性弁護士さんが殺された牧師さんのナゾを解く、
っていう話らしいよ。」と。
私が香港で書いてある漢字から想像するに、多分、これはこんな意味、と
いうのをドイツ人の相方はスウェーデン語でやっているという感覚が
なきにしもあらず。ともあれ、そのスウェーデン映画を見ました。
まだ封切られたばかりの新しい映画で映画館はほぼ満席。
オッサ・ラーソンという女流推理小説家の作品の映画化らしいです。
原作の英訳は出ているようですが(英題:Sun Storm・太陽の嵐?)日本語訳は
まだないようですね。
スウェーデンの北の町の小さな教会でおきた殺人事件。幼なじみの女性が
容疑者として捕らえられたと聞き、ストックホルムで働く美人弁護士が
その謎に挑むというスリラーでした。
一言もわからないスウェーデン語ながら、画面を見ればある程度は筋も
追えて、それなりに緊迫した雰囲気も伝わってきました。
スウェーデンの北の方の町の話ということでオーロラが出ているシーン
もあったのですが、「うわぁ、オーロラだ!」と思ってるのは私くらい
だったんじゃないでしょうか。
相方がスウェーデン北部出身の同僚に聞いた話では、北部では特に
「しょっちゅう出るんで、別に何とも思わない。」
のだそうです。
「しかもアレ、音がするのよ。夜中にうるさくて目が覚めると
オーロラが出てるのよね。」
・・・どううるさいのかはよくわからないままだったのですが、
幻想的にカーテンのように光が広がるだけではないというのは
初めて知りました。
(つづく)]]>
お天気に恵まれた土曜日
http://akberlin2.exblog.jp/6839286/
2007-11-14T06:30:00+09:00
2007-12-01T04:44:28+09:00
2007-11-14T06:30:37+09:00
akberlin2
Stockholm
しまいました。土曜日の朝「ホテル」があまりにもひどいので
「引っ越す?」と相方をけしかけてみましたが「いや、もうカードで
払っちゃったし。それに今日は出かけたら夜まで帰らないだろうし、
寝に帰るだけだから。」というのでもう一泊はガマンということに。
ともあれ、朝8時のサンドイッチ、コーヒーの配給時間に間に合わなかった
ため、1000円の追加を払った朝食もやはり「・・・。」という内容。
相方のつながった眉の下が曇って見えるのはいわゆる「眉間に皺が寄って
いる状態」=「機嫌が悪い」ってことです。あうう。
でも幸いお天気だけは良くて青空がのぞいています。
相方は5年前にも学会だかでストックホルムに来たことがあり、
「旧市街にとりあえず行こうよ。」というので地下鉄で
ガムラ・スタンに向かいました。
お天気がいいと、散歩も楽しい。でも土曜の午前中は観光客と
地元の人が買い物にどっと繰り出し、狭い旧市街の石畳の道は
混雑しています。例によって、人混みの嫌いなヒトと歩くには
とても不向きな状況。なるべく人のいない方に、いない方に・・・と
流れていきました。歩きながら観光局でもらった案内を読んでいた
相方が「船でめぐる運河ツアーがあるって。これやろうよ。」と言い出し、
お昼過ぎの出発のに間に合うかな、と言いながら船着き場を目指しました。
船着き場はストックホルム一の高級ホテル、グランドホテルの前。
12時半出発の切符を買ったのが11時半。1時間も寒い埠頭で待つのは
無理・・・「じゃ、あそこで待とう。」と相方が指差した先は
グランドホテル!
「ええっ!高価いんじゃない?」
「高価いったってコーヒーくらいならたかが知れてるよ。泊まるわけ
じゃないし。でも友達に自慢できるよ、中に入ったって。それに今、
泊まってるとこがひどいからね、その埋め合わせ。」
というわけでおそるおそる、敷居の高いグランドホテルへ・・・。
ドアマンが他の婦人客と話している脇をすり抜け、回転ドアを
押して中に入るといかにも伝統のヨーロッパ、という重厚な雰囲気。
左側のラウンジ奥の窓際の席にいこうとするとそこはレストランで
まだ開店していないとのこと。コーヒーを飲みたい、というと
反対側のバーへどうぞ、と言われたのでそちらに移動。
バーカウンターのあるラウンジも壮麗な雰囲気。
自分たちの宿を思い出すとその差に何だかおかしくなってしまうほど。
同じストックホルムでこの差は・・・。
相方はカプチーノを、私はホテルブレンドの紅茶を頼みました。
両方で100クローネ(1800円くらい?)でしたが、紅茶は
大きなポットサービスでフルーティーな香りが高く、おいしいもの
でした。
(つづく)]]>
狭い!
http://akberlin2.exblog.jp/6839255/
2007-11-14T06:08:00+09:00
2007-11-28T02:11:17+09:00
2007-11-14T06:08:36+09:00
akberlin2
Stockholm
に近い市内から地下鉄で20分ほどのところにあるビジネスホテルに
泊まっていました。観光には不便でしたが、ネット環境も素晴らしく、
立地以外は大変に良かったのですが、相方の仕事が終了した金曜日に
ネット予約した市内の別な「ホテル」に引っ越しました。
ストックホルムは物価が高い、とは聞いていましたが、ホテル
代金に関しては100ユーロがほぼ下限という状態でした。
ドイツなら運がいいとダブル、ツインで60ユーロくらいでも
いい部屋が見つかったりするのですが、このストックホルムの
「ホテル」がひどかった・・・。
そこそこ中心に近く、まあまあ便利なところではあるのですが、
ホテルというよりはホステル。普通はバスルーム共用というのを
わざわざ値段の少し高いバスルーム付き、というので予約したの
ですが、この部屋が狭い!
バスルーム込みで4メートル×2メートル足らずくらいの、閉所恐怖症
だったら気が狂う、と思われる大きさ。しかも部屋のバスルームが臭う。
ドアをきっちり締めないと部屋中に悪臭が漂う感じです。シャワーと
トイレのしきりはイケアのシャワーカーテン一枚。
いわゆるシャワー用のキャビンにもなっていない。
水はけも今ひとつで、足拭きマットを床に広げてシャワーを浴びたら
水浸しになってしまいました。
金曜には雪が降ったのですがこの安普請、暖房だけはしっかりしていて
寒い思いこそしませんでしたが、朝食も朝6時から8時に起きた
人だけにサンドイッチとコーヒーが出てそれ以降の朝寝坊には1000円
ほどの追加が朝食にも必要というじゃありませんか。
「冗談じゃな〜い!」
一泊100ユーロ以上(1万7千円近く)して、いくら何でもこのサービスは
許せん!とドイツに帰ってすぐに予約したサイトのHotels.comに苦情の
メールを強い口調で書きました。(メールだと何でも言えるオバちゃん気質。)
「そちらさんのサイトのベストパートナーホテルっていう証書が
フロントわきに額入りであったけど、これがそちらさんの標準なら
もうそちらのサイトでホテル予約なんかしません!」
そうしたらカスタマーサービスから早速返事が来て30ユーロほど返金
します、ですって。それでも一泊あたり85ユーロは許しがたい高価さ
ですが、フロントの女の子も愛想が良かったし、ま、許すかな・・・。
と、せっかくの美しい街の思い出を台無しにするホテルの話で
スミマセン・・・。チェックアウト寸前に忘れ物がないか点検している相方。
まったく英語で言うところの「猫を振り回す余裕もない広さ(Not enough
room to swing a cat)」、日本語でいうところの「猫の額ほど」の
部屋でありました・・・アレ、どうして狭いっていうと英語でも
日本語でも猫、なんだろう。
ドイツ語にはそういう言い方、あるのかな。
(つづく)]]>
ガムラ・スタン
http://akberlin2.exblog.jp/6839206/
2007-11-14T05:27:00+09:00
2007-11-22T01:36:28+09:00
2007-11-14T05:27:48+09:00
akberlin2
Stockholm
王宮もある島、ガムラ・スタンに出かけてみました。
寒い、曇りがちな日でぱっとしませんでしたが、ストックホルムが
北欧の都、と呼ばれるわけが美しい旧市街を見てわかったような
気がしました。
ライン河の都ケルンは第二次大戦で99パーセント、大聖堂を残して
街のほぼすべてが破壊されてしまいました。今ある「旧市街」は
戦後の再建、ケルン大聖堂からほど近いこともあって観光客目当てと
思われるお店ばかりしかなく、どうも日頃は足が向きませんが、
ストックホルムの旧市街は観光客目当てのお土産物屋さんなどと
並んで手袋や手芸用品を扱うお店があったりして、市民の生活の
息づかいが感じられました。
この島に「ドイツ教会」(↑コレです。)という名の立派な教会があり、
その近くに紅茶専門店があるのよ、と相方のスウェーデン人女性同僚
が教えてくれていたのですが、本当にドイツ教会のすぐ隣ですぐに
見つかったので入ってみました。しんしんと寒い日でいくら美しい
街だからといってただ逍遙するのが楽しい日じゃなかったのです。
それにしても女性同僚というのはありがたいですね。ジモティと
いう言葉、まだ日本で有効かアヤシいですが、その土地のことは
その土地の人に聞け、です。
「チャイハナ」というこのお店、創業2004年とまだ新しいお店でしたが
上品な老婦人の二人連れなども来たりして、落ち着いた雰囲気。
私は160クローネの「イングリッシュ・アフタヌーンティー」を
頼んでみました。
小さなサンドイッチにクロテッドクリームとジャムを添えた
スコーンが二つ、日本ふうな大きさ(ドイツのケーキはしばしば
巨大)のケーキはその日の何種類かの中から選択できます。
紅茶はダージリンのセカンドフラッシュを選んでみましたが
私の好みから言うともうちょっと濃いめに入れてほしかったかな。
でも量的にも本場のイギリスだとサンドイッチもスコーンも
ドドーン、と来たりする時がありますが、日本人の婦女子にも
ちょうどいいくらいの量で日本のストックホルムのガイドブック
にも載ってたりするのかなぁ、と思ったりしましたが、私が外は
冷えるし、それほど混んでいなかったのをいいことにすっかり
長居していた間には日本人は来店しませんでした。
アフタヌーンティーの後、ちょっとまた歩いているうちに4時には
すっかり夜の暗さになってしまいました。11月上旬でこれじゃ
冬至の頃はどんなに暗いのか、と思いました。
(つづく)]]>
よりによってこんな時期に?
http://akberlin2.exblog.jp/6791162/
2007-11-08T02:47:00+09:00
2007-11-08T02:51:35+09:00
2007-11-08T02:47:33+09:00
akberlin2
未分類
北欧の都、ストックホルムに来ました。
相方は仕事ですが、私は気晴らし。でもしなきゃいけない仕事が
あってパソコン持参です。
ホテルはネット環境も快適ですが、市の中心から離れていて
空港から直接来ることが出来ず、一旦、バスで市の中心まで出て
そこから地下鉄(T-banaというらしい...手鼻?)でまた空港方面に
戻ったあたり。しかも駅からさらにバスを乗り継がなければ
ならないようなところ。幸い、相方のスウェーデン人同僚の
リンダさんが車で駅からホテルまで送ってくれました。
「わざわざ11月のこんな時期にストックホルムに奥さん連れて
こようなんて、相方氏、変わってるわね。この時期は寒いし、
天気悪いしでいいことないっていうのPh.D『博士さま』なら
ご存知でも良さそうなのに。」なんて半ば冗談めかして
笑いながらリンダさんがいうのも無理はない。
気温摂氏1度。
ドイツより寒い。
午後2時くらいから夕方のような暗さ。4時にはもう真っ暗。
ドイツよりも日が短い。
しかもぼそぼそ、冷たい雨が降って。
でもこれがストックホルムの11月、なんですね。
今日は空港に着いてお金を交換して(ここはユーロじゃなかったんです。
いまでもクローネ)、バスで市内へ出て、地下鉄で市外へ戻って・・・
なんてやってたらあっという間に真っ暗になっちゃいました。
またなにか見つけたら投稿するつもりです。]]>
風邪っぴき(ほぼ)おひとり様のパリ・一泊二日(2)
http://akberlin2.exblog.jp/4305447/
2007-01-10T22:03:00+09:00
2007-01-10T22:30:21+09:00
2007-01-10T22:03:34+09:00
akberlin2
Paris
・・・翌朝、目が覚めたら10時でした。なんとなく調子が出なくてベッドで
ゴロゴロしながら朝の子供向け番組を見ました。アニメやアメリカの
ティーンドラマもフランス語吹き替えだと妙にかっこよくみえるなぁなんぞと
感心しているうちにあっという間にチェックアウトタイムが迫ったので着替えて
フロントで精算し、ホテルの外に出たのはもうお昼ごろ。
ホテルのロビーで「ギメ東洋美術館」のパンフレットをもらっていたので、
見たことないし、とりあえずそこに行ってみようかとのこのこ出かけました。
エッフェル塔のよく見えるメトロのトロカデロ駅から歩いて5分。じゃじゃんっ!
いかにもパリっぽい感じの建物ですが、中は暖かい東南アジアの風が・・・。
一階は主にインド、東南アジア。象の頭とすげ替えられてしまったヒンズーの神、
ガネーシャもいました。
中国、日本コレクションも充実。
ボンジュー、ア(ハ)ニワさん。商代(紀元前18~11世紀)の酒器だそう。ぞうさん!なんてかわいらしい!
子供にも人気です。
唐代中国にもいた「おてもやん」。
さて地下に食堂があったのでお昼を食べることにしました。
20ユーロのメニュー。前菜とメインとデザートを何種類かから選べます。前菜として頼んだ青いパパイヤサラダ。ナムプラーとフライドオニオンの味が香ばしい。メインは豚ヒレ肉のオレンジ・セサミ風味。さっと煮付けたチャーシューふう、それに
オレンジの香りがふんわり。白ごまが散らしてあってごはんが進みます。そのあと、
デザートまでがちょっと待たされたのですが・・・。デザートはココナツ・フラン。フラン・ドゥ・ココ。これが絶品。焼きたて、あつあつ、
ふわりとした生地からは湯気とともにココナツの香りが。それにココナツミルクが
かかってきて、ココナツ好きにはたまらない美味しさ!
デザートだけもう一個食べたいくらいでした。
食堂内にもヴィトリン、ガラスケースがしつらえてあって、私のすぐ脇は
唐三彩の壺。解説票に「唐の釉薬、トリコロール」って書いてあって、そうか三彩
だからトリコロールか、と妙に感心してしまった。
この壺の向こう側に丸テーブルがあり、30代くらいの夫婦が小学校低学年と
中学年くらいの息子を二人連れて座りました。
下の息子は「Yakitori」とメニューにあったものを取ってもらったようで、
しばらくするとなるほど、焼鳥串が数本とごはんとサラダが一緒に盛られて
お子様ランチ風になったものが運ばれてきたのですが、お兄ちゃんは喜んで
食べ始めたものの弟は食べ慣れぬ「アジアごはん」に初めから拒絶反応。
「サラダはヤダ」と言えばお母さんがお皿からサラダを取って自分のに移し、
お父さんが鶏を串から外してやって、フォークに刺して口許までもっていくのに
きっと口を結んだまま絶対に食べようとしない。
「ほれ、美味いから食べろ!」「いい子だから食べなさい!」と両親が言えば言うほど、
弟はどんどんかたくなになって絶対に口を開けようとしない・・・。
実は私もそうでした。バリバリの中華がずっと苦手でした。強すぎる八角の味
なんかはじつは今でも苦手です。子供って食べつけないものは食べたくないん
ですよねぇ。その坊やを見て、久しぶりに我が姿を思い出しました。
まぁ、その子が長じてドイツに住み、フランスに行ってアジアごはんを好んで
食べるようになったりするんですから。あの弟もいつかはアジアごはんの
美味しさに目覚めるかもしれません。
なんだかんだですっかりアジアにハマって気がついてみたら短い冬の日が
すでに暮れかかっている時間。のどが痛いのも相変わらずなので無理に
ジタバタせず、おとなしく早めに空港に切り上げることに。
帰りはRERという電車を利用しました。ロワシービュスよりも早く空港に着きます。
空港内の売店で相方におみやげのチョコレートを買って、ミネラルウォーターを
買ったら・・・手荷物検査のテロ対策で取り上げられそうになって慌てました。
(手荷物検査機のところで500mlを一気飲みしました・・・。)
欧州内、欧州内からのフライトでは液体、クリーム類(歯磨きなどのペーストも含む)
の機内持ち込み、厳しくなってます。液体の量ではなくて、容器の大きさで100ml以上
のものは持ち込めないようです。使いかけの化粧水(容器が200mlだった)まで
取り上げられたのには閉口しました。
格安航空のジャーマンウィング、ケルンへの帰りの便は30分ほど遅れました。
格安航空会社では席が決められてなくて、チェックインの時にもらえる番号は
整理番号。乗ったら自由席です。そのために搭乗前には行列してなるべく早く
いい席を確保する必要があります。
私の前に並んでいたのは年明けをパリで迎えた若いドイツ人カップル二組。
「ホテルの朝食にハムもチーズもないからね~。ホントにクロワッサンと
バゲットとコーヒーとジュースくらいで。」
そういえばドイツ人は朝食に人を招いたりするくらいでハムだのチーズだのを
何種類も食べる人が多い。パンも黒パン、白パン取りそろえて、という趣です。
「あとね、羽布団じゃなくてね、シーツに毛布一枚でしょ、寒くってね~。」
そういえばドイツのベッドメーキングはフランスやイギリスと違ってふんわりした
羽布団をたたんでおいたりしますが、フランスはシーツと毛布をビッタリ折り込んで
敷布と掛け毛布の間に挟まって寝る式です。
距離的には本当に近いドイツとフランスですが、文化の違いってこういうところに
あるんですね。
パリだったのかなんだったのかよくわからないくらい短い旅でしたが、
ま、こういうのも、アリ。]]>
風邪っぴき(ほぼ)おひとり様のパリ・一泊二日(1)
http://akberlin2.exblog.jp/4279503/
2007-01-08T02:34:00+09:00
2007-01-10T19:43:44+09:00
2007-01-08T02:34:29+09:00
akberlin2
Paris
いうのでそれじゃワタシも行ってみようか、と二日の朝から出かけました。
ケルンはドイツでもかなり西に寄った街なのでドイツ国内のベルリンに
行くよりもフランスのパリの方が近いくらいなのです。
(ケルンからベルリンは475km、パリは405km!)
列車でもケルンからは特急タリス・Thalysというのが出ていて
ブリュッセルを経由して4時間あまりでパリ北駅に着くらしいのですが、
探したら格安航空会社のジャーマンウィングス・germanwingsの方が
安かったので飛行機で行くことにしました・・・・が。
朝7時に発つ便。ってことはその1時間以上前にケルン=ボン空港に
着いていなければならなくて、そのためには・・・逆算して・・・
・・・4時起きですか。
この時点でちょっと萎えましたが、なにしろ私の永遠のアコガレ、花のパリ。
有名ブランドにはまるっきり縁がないものの、街を行く人々を見るだけでも
楽しいところ。去年、相方を連れて行って以来ですが、せっかく近所(?)に
引っ越して来たことだし、とりあえず行っとこうかね。でも年末年始あたりから
どうものどの調子が・・・。
ともかくパリに着きました。空港からロワシービュスという市内直行バスで
オペラまで行きます。街の中心に行くまでの風景は・・・え、こんな?!いや、パリってね、すごく見栄っ張りな街だと思うんですよ。
普通こんなとこ、パリですってわざわざ紹介されないですもん。
でもね、街の中心をちょっと離れると、わりと普通の街の風景で、ドイツや
うっかりすると日本ともあんまり変わらない感じで妙に安心するっていうか。
でもパリっていえばやっぱり・・・じゃーん。
朝日に輝くオペラ座です。バスで着いた朝9時ぐらいの風景。
とりあえずネットで一泊だけ予約した17区、凱旋門からもほど近い
プチホテルに行って、そこにすでに泊まっている従弟半(イトコハン
=従姉の子供)と再会。一緒にぷらぷら歩いて、凱旋門に行く途中の
手頃なカフェで寄り道。7ユーロの朝食セットを頼みました。
コーヒーとオレンジジュースとバター付きバゲットにブルーベリージャム、
それにヴィエノワズリーという菓子パン、ペストリー風のクロワッサン。
フランス風なコンチネンタル朝食です。このカフェの隣にパン屋さんがあって
「2006年のベスト・バゲット賞獲得」なんて看板が出てたのですが、私が
朝食セットを注文したらウェイトレスの南欧美人があわてて隣にパンを買いに
いって、出てきたバター付きバゲットはやっぱり美味しい!
ともあれ、そんなこんなで小腹は満たしたけれど、相変わらずのどが
ヒリヒリ、なにかを飲み込むたびにピリッとくるのは非常にマズイ感じです。
ま、せっかくのパリ、特別大事な用事も予定もないし、のんびりうろうろしよう、
と思ったのでした。
とりあえずオペラの近くのデパートへ。そこでイトコハンとは一旦解散。
見たいモノが違うときは迷わずさっぱりこうします。
お互いにあとで「あれが見たかったのに」にならないので精神衛生上もヨシ。
私はドイツにはない雰囲気のフェミニンなパーツの連なった可愛いネックレスを
買い、イトコハンは「会社に着ていけるコートとマフラー」を買いました。
そのあとはまた市内で見たいところが違ったので「また夕方、ケータイで連絡
取り合ってどこかで会おう」と言って解散。
私はまっすぐマレ地区へ。このあたりには可愛らしいモノを売るお店がたくさん
あってゆっくり見るには一人の時に限ります。別に何かを買うつもりがなくてもウィンドーショッピングだけでも楽しいのが
このあたりなんです。
そしてウロウロしていて偶然見つけ、お手洗いだけ拝借するつもり(!)でフラリと
立ち寄ったカルナヴァレ歴史博物館。パリの歴史が絵画や調度品でわかる
ステキな博物館でした。
しかも入場無料!パリ市、太っ腹!Vive la France!(フランス万歳!)
見始めたらキリがないほどの展示品の数々、もともとはお城だったところを
改築しているとかで建物からして豪華で贅沢な博物館です。
その中にあった「失われた時を求めて」のマルセル・プルーストの部屋の再現。
・・・長い話らしいですね、「失われた時を求めて」。
・・・はい、すみません。私は読んでいません。
高校生までガリ勉・秀才くんタイプで押し通し、哲学にハマりかけたという
ヲタク系の相方ですら「途中であきらめた」というくらいの本だそうです。こっちは世紀末、バリバリ。アールヌーボーの美しいお店の店内の再現。アルフォンス・ムハ(ミュシャ)の美人画さながらの曲線美、鮮やかなステンドグラス。ほわ〜。
そんなこんなしているうちに風邪っぽいのがどんどん悪化。
のどは相変わらず焼け火ばしでつつかれたようなヒリヒリ具合。
こういう時に美味しいものは・・・そうだ、アラビア風ミントティーだっ!
というわけでメトロを乗り継ぎ、5区にあるアラブ世界研究所へ。
アラブに関連する本や美しいアラビア習字のポストカードなんかも売っている
ブックショップやミュージアムも入っていて、またアラビア語の語学講座も
行われているようです。5〜6年前に来た時には入り口でそんなに厳しいゲート
検査なんかなかったと思うのですが、こういうご時世ですからね、カフェに行くだけ
でもゲートを通って、荷物をレントゲンにかけさせられて空港並みでした。
ここは屋上にテラスレストランもあったと記憶していますが、寒いので今回は
一階のこじんまりしたカフェでミントティーだけ。大学に近いあたりで、なんとなく
知的な人がたくさんいて、フランス語やらアラビア語やらでケンケンガクガク議論して
いたりして、地味だけど好きなスポットです。
緑茶にミントを入れてうんと甘ーくしたアラブ風のミントティー。
甘いのとすっきりしたミントでのどがさっぱりするかなぁ、と期待したけれど、
甘いお茶でものどにつかえてザラザラ。ダメだこりゃ。
イトコハンにケータイからメールを打ちました。
「もうダメ。一緒にごはん食べたかったけど無理。悪いけどホテルに帰ります。」
イトコハンは翌日の朝の便でもう東京に戻ると行っていたので、一緒に食事を
するとすればその晩しかなかったのですが、どこかレストランでとなると
たっぷり時間をかけてワインなども気長に楽しむのがフランス人。
でもその時の調子ではたとえポタージュスープでも釘が出ているみたいに
のどに刺さりそうでした。
ホテルに戻る途中、ホテルの近所で遅くまでやっている個人経営の
コンビニみたいなところで冷たくて柔らかいもの、ヨーグルトかなにかを
買おうと寄ったら、「ニーハオ!」と元気に店員のアラブ系のお兄ちゃんに挨拶された
ので「アサラーマライクム!(ムスリムの人たちの「こんにちは」)」と返しました。
・・・えらくビックリされて、でもものすごくうれしそうで、こっちがフランス語が非常に
不自由でしかも半病人だっていうのにいろいろ話しかけられて少々、困惑気味。
いやはやクチは災い(?)のもと(笑)。でもヨーグルトを食べるのに小ちゃいスプーン
をおまけにくれたからいいや。(日本なら当たり前のサービスだけど、こういうのも
言わないとくれないんだよね、ヨーロッパでは・・・。)
そのコンビニもどきの隣くらいに「パンと菓子職人の店」というのがあり、
そうだ、ケーキも買って帰ろ、と入って、美味しそうなケーキがいろいろ
並んでいた中からとろりとしてのどに優しそうな「クレーム・ブリュレ」を選びました。
アルミの薄いお皿に入れて焼いてあって、カラメルがたっぷり。
2ユーロしなかったけど、濃厚な卵とクリーム味!んまいっっ!
こういうのまできっちり美味しいところがダテにフランスじゃないんだよな〜。
ホテルの部屋に戻り、テレビでフランス語吹き替えの「アイス・エイジ」を見ながら、
ヨーグルトとクレーム・ブリュレを食べて、あとはバスタブに乾燥防止用に水を張り、
暖房をガンガンに効かせて爆睡しました・・・。]]>
サッカー熱に浮かされる町
http://akberlin2.exblog.jp/2584694/
2006-06-22T01:50:40+09:00
2006-06-22T01:50:40+09:00
2006-06-22T01:50:40+09:00
akberlin2
Nürnberg
訪れてもたぶん、大挙して押し寄せている各国からの熱心なサポーターに
気圧されることでしょう。日本で開催していたときよりもフィーバーぶりが
50%は上乗せされている感があります。
普段はドイツの誇る画家のデューラーの家や古城、古い教会などが
見どころであるはずのバイエルン州の小都市、ニュルンベルクも
私が行った週末はサムライ・ブルーの日本のサポーターと赤白格子縞の
クロアチア・サポーターに占拠された感じでした。
冷房などない安ホテル(それでもW杯料金でちょっと高価めだったのですが)は
にぎやかなショッピングエリアのまん中に位置していて、試合の前夜は土曜日
だったこともあり、開け放した窓からは深夜過ぎまでクロアチア・ファンと思われる
人たちの歌声が聞こえていました。
それでも町中に古いドイツを感じさせるところもあります。
ニュルンベルクはロマンチック街道からはちょっと外れていますが、
日本人的には「おおー、ドイツ」と感じさせる一角がときどき目の前に
現われます。
橋の上から見えた建物。この橋の上で久米宏さんが中継をしていました。小高い丘の上のカイザーブルク城。
お城のそばでドイツの小旗を立てた自動車を横目にサムライ・ブルーの
トリコ(ジャージ)で気合いを入れる(?)ドイツ人観光客。でもそんな日本サポーターを歓迎してくれているかのようなお宅も。どうです、この風景。ドイツっぽいじゃないですか。ベルリンではまず見られないです。
画家アルブレヒト・デューラーの家。
デューラーにちなんで、WMのポスターもウサギがサッカーのピッチ柄に。
ついでにちょこっと食べ物の話。
4時間半もかけて行ったのですから土地の美味しいものも食べたい!
駅の案内所でもらった観光案内パンフレットに出ていた名物を
食べに行きます。「中央市場(Hauptmarkt)」という広場に面して建つ聖母教会。
その真ん前が「キック&グルーヴパーク」と称してビアガーデン兼
PV会場になっています↓。暑い土曜日で、パラソルの下でビールを飲みながら大画面TVで
観戦する人で賑わっていました。広場に面したレストランに入りました。
午後の中途半端な時間で空いていたのですが・・・。
名物「ショイフェレ」にジャガイモ団子のクローセ添え。「ショイフェレ」とは
シャベルのことです。豚の肩肉をオーブンでじっくりロースト。
脂身までカリッカリに焼けていて、香ばしい。
完食。この残った骨がシャベルに似ていることからショイフェレというそうです。
「甘いものは別腹」な相方が注文したデザート、カイザーシュマーレン。
レーズン入りの細切れパンケーキ。リンゴをクタクタになるまで煮たアプフェル
ムースを添えて食べます。
翌日、サッカーマッチのあとでもう一つの名物を食べました。
太めの指ほどの大きさのニュルンベルガー・ソーセージ。マヨネーズでなく
タマネギ、オイル、ヴィネガーで和えたポテトサラダ添え。
もともとお義母さんはバイエルン州出身、ニュルンベルクの料理は
相方にとってのお袋の味に近かったとみえて、えらく喜んで食べていました。]]>
音楽隊の街。
http://akberlin2.exblog.jp/2329278/
2006-05-28T23:17:00+09:00
2006-06-02T05:57:14+09:00
2006-05-28T23:17:53+09:00
akberlin2
Bremen
行われました。(会場内の様子↓)申し込めば誰でも参加できるとのことで、ドイツに住んでいてなかなか帰省しない
できない親不孝なムスメの様子を見がてら、母が参加することに。
せっかくドイツまで来るのだから、と父も日本から随行。
というわけで両親が到着する5月13日からブレーメンを発つまでの一週間、
ブレーメンに滞在しました。ベルリンからブレーメンまでは列車で二時間半ほど
ですが「せっかくキミのご両親が来るのだから」と相方も来てくれて、最初の
数日間は相方も一緒。にわか卓球選手(←母)の応援に一家総出、と相成りました。
ブレーメンはハンザ都市として栄えた古い街。ハンザ都市と言うだけに
海運などで栄えた街なのだそうです。今でもシュヌーア地区と呼ばれる旧・船員
住居区など趣のある街角も残っているものの、大半は戦禍で消失していて、
現存する本当に古い建物は世界遺産指定の市庁舎(創立1405-1410)ぐらい、
あとはみんな19世紀以降、あるいは第二次大戦後の再建だったりするようです。
(マルクト広場の様子↓)
観光客の一番人気はもちろん、市庁舎前の「ブレーメンの音楽隊」の像。
1950年代はじめに作られたもの。ロバの両足につかまるといいことがある、
という逸話があって観光客がみんなつかまるのでロバの足はピカピカでした。
(ロバの足につかまって「せめて一勝」を願う母と父の図↓)
ちなみにその逸話が生まれたのは・・・像が建造されてまもなく、1954年にドイツが
サッカーワールドカップで「ベルンの奇跡」と呼ばれる勝利を手にし、
優勝したことに由来するらしいですが。(観光バスガイドさんが言っていた話。)
ブレーメンに到着した日はサッカーブンデスリーガ最終試合の日。
ブレーメンの地元チーム、ウェアダー・ブレーメンが高原のいるHSVとアウェイで
対戦、1-2でアウェイのブレーメンに軍配が上がりました。
街の中心の広場に集まるサッカーファンたち、大喜び。
グリーンとオレンジのウェアダー・ブレーメンカラーで埋め尽くされていました。
ブレーメン中央駅構内のフリーズ(壁面装飾)。海運で栄えた街ということでマドロスさん(←死語?)と船、それにもちろん
「ブレーメンの音楽隊」のタイルモザイクです。駅構内のコンコースにも「卓球でおいでの皆さんを歓迎」ディスプレイが!
日の丸があるのがちゃんとあるのがうれしいですね。
街の中心にある細い小径、Böttcherstrasse(ベッテヒャー通り)。
オシャレな食器や装飾品、服飾を扱うお店やアーティストのアトリエ、
小さい美術館、カフェ、レストランなどがあります。
ここのおもちゃ屋さんの前にいたドイツが誇るぬいぐるみメーカー、
シュタイフ社製の音楽隊。(ほぼ実物大?かなり大きかったです。)
ブレーメンの市の紋章には鍵がついています。
というわけでマンホールのふたにもこんな装飾。
昔の船員さんたちの住宅街だったというSchnoor(シュヌーア)地区。
シュヌーア(Schnur)は「ひも」のことで、ひもでつないだビーズのように
小さくて可愛らしい家がひしめいて建ち並んでいました。
今はオシャレなお店、おみやげ物やさんなどが中心ですが、住んでいる人も
いるようです。東京の谷中界隈が下町情緒あふれる、と観光客で賑わっている
のをなんとなく思い出しました。
シュヌーアは土地が低くて、以前は川の氾濫でよく水害に遭っていたそうです。
ところで中央駅の正面にはなぜか赤い鳥居が!アジア(asien)はこちら、と矢印がついています。実は駅のすぐ隣にある
Überseemuseum(ウーバーゼー博物館)でアジアの国々と文化を紹介する
展覧会が開かれていたようなのです。それに合わせて、街の随所でアジア風な
装飾が。ショッピングアーケードにもこんな半被の展示。
川崎市中原区にある元住吉商店街、ブレーメン通りからの贈り物だそうです。希望、とか友好、とか平和とか。いい言葉の染め抜かれた巨大ハッピ。
ブレーメンで見るのもオツなもの。]]>
ロンドン・二泊三日。
http://akberlin2.exblog.jp/2317901/
2006-05-27T23:43:36+09:00
2006-05-27T23:43:36+09:00
2006-05-27T23:43:36+09:00
akberlin2
London
こんな青空。
足かけ20年に渡って、少なく見積もっても15回くらいはロンドンに
行っていると思うのですが、初めて見た気がします。
サッカー発祥の地、と言われているわりに1966年以来、ワールドカップで
優勝したことがないイングランド。ドイツの3回優勝、ブラジルの5回優勝に
大きく水をあけられた感がありますが、イングランド応援気運はもちろん、
高まっていました。ロンドンを訪れるのは実に3年ぶり。地下鉄構内にこんなマグネット表示板が立つように
なっていました。地下鉄の運行状況が書かれていてDelays(遅延)とか
Good Service(順調に運行)とか書かれているのですが、Good Serviceなんて
いうからには電車内で紅茶とスコーンとキュウリのサンドイッチを期待したいですね、
私は。
90年代前半に住んでいたことがあるウェストミンスター地区。
この近くにフィッシュ・アンド・チップスのおいしい店があり、今でもロンドンを
訪れる度に立ち寄ります。お店の人に愛想がないのが難点だけど、ロンドンじゃ
普通かな・笑。観光名所、ウェストミンスター寺院や時計塔ビッグベンからもほど近い
あたりなんですが、市が立っていたりして、素顔のロンドンがのぞける界隈です。
ターナーやイタリア初期ルネッサンスの大好きな絵が何点もあるナショナル・ギャラリー。
この隣の肖像画ばかり集めたポートレート・ギャラリーも最近、大改修したらしく、
入り口に近いあたりは最近の芸能人などの肖像を集めて、見てわかりやすく、
入りやすい雰囲気になっていました。ポップグループ、Blurのメンバー4人を描いた
ジュリアン・オピーの作品はBlurのベストアルバムのカバーにも使われていましたが
ホンモノが見られます♡
ナショナルギャラリーが面して建つトラファルガー広場はお天気の良い日だったので
昼休みの時間帯には近くのオフィスで働く人がサンドイッチを持ってたくさん集い、
ちょっと日比谷公園みたい?
トラファルガー広場にいた鷹匠の鷹。
「鳩にエサをやらないでください」の看板に留まっていました。
この看板、英、仏、西、ヒンディー、ウルドゥー(?アラビア語かも)で
書かれていましたがドイツだと、ヒンディーの代わりにトルコ語だよなぁ、
なんて思っていました。
今回は格安航空会社の安いフライトが見つかって「ソレッ!」とばかりに
出かけてしまったため、いろんな友達に連絡を取れなかったのですが、
それでも以前に一緒にフラット(アパート)をシェアして住んでいた友達や、
最近ベルリンに遊びに来ていて知り合った南米出身の女性にも再び会えて、
一緒にゴハン食べたりしました。
信じられないほどのお天気の良さもあって、なんだかすごくリフレッシュ。
楽しい旅でした。]]>
海が見たい
http://akberlin2.exblog.jp/1873208/
2006-04-22T01:31:00+09:00
2006-04-22T01:43:47+09:00
2006-04-22T01:31:49+09:00
akberlin2
Warnemünde
ハンブルクなどが面している「北海(Nordsee)」かロストックや
リューベックのある「東海(Ostsee)」まで行かなくてはなりません。
駅で近郊列車の時刻表をもらってきたら、可愛らしい灯台の写真とともに
「週末にヴァーネミュンデへ」という一文が。
毎週末、朝8時にZoo駅を出発すると11時半にダイレクトに「東海」に
面した海辺の街、ヴァーネミュンデに着ける電車があることがわかりました。
さてドイツ語では『東海』というこの海、日本語では・・・
バルト海 ですかっ!
地理に疎い私はバルト海というと、バルト三国、エストニア、ラトヴィア、
リトアニアとか北欧の国々が面している海、というイメージでベルリンから
電車で行けるところだと思っていませんでした・・・。
ともあれ、バルト海を見に行けるとなると、見てみたくなるというのが
人情というもの。(←人情?)
というわけで日帰りバルト海遠足、敢行しました。
行きの電車の中で見たピクトさん。窓から乗り出したり、びんを投げ捨てたりしてはいけませんね。着いたときのお天気はいまひとつでしたが、時刻表に出ていたグリーンの
灯台がちゃんとありました。北欧諸国との間を結ぶフェリー。デンマークなんて数時間で着いちゃうらしいです。
北欧が思ったより近くてびっくり。ヨットハーバーもあり、肌寒い日だったのにヨットで出ている人も。
わーい、海だ~!!
点々と見えるのは二人掛けの屋根付きベンチです。有料で貸してもらえます。
でもこの日は座っているにはちょっと肌寒かった・・・。
こっちがホンモノの灯台。ヴァーネミュンデの町のシンボル的存在。
ティーカップという名のレストランなどが入った建物。
夏には海水浴客で賑わうようですが、春まだ浅い時期もなかなか・・・。
潮風にびゅうびゅう吹きまくられて、なかなかイイ気分でした。
]]>
ドレスデン・最終日(オペラ座体験記)
http://akberlin2.exblog.jp/1468473/
2006-03-28T00:03:42+09:00
2006-04-03T01:08:06+09:00
2006-03-28T00:03:43+09:00
akberlin2
Dresden
コインロッカーに荷物を放り込み、そのあと意味もなく、プラハ通りの
デパートとかショッピングセンターなんか見てしまいました。
まだ肌寒いのにウィンドーの春色のディスプレイを見たら、何となく
つられて入っちゃったんです。懐具合が寂しい上に期待したほど
欲しいものにめぐり逢わなくて、結局何も買わなかったんですが。
一度、春っぽい明るいブルーのシルクとカシミア混紡のカーディガンを
試着して、やっぱり値段的にちょっと・・・とあきらめてお店を出たのですが、
まだ未練があって500メートルくらい先まで行って戻ったりもしました。
でもそのブルーが微妙に私の持っている服と合わない感じだったので、
結局、止めました。そんなことをしていたら、少年合唱団が有名らしい
クロイツキルヒェ(十字架教会)を見そこないました・・・。(観光客失格。)
この日のオペラ座は14時半開演の「フィガロの結婚」。
開演一時間前に劇場窓口で戻ってきたチケットを売りに出す、と聞いていたので
それに向けてノコノコ、中央駅から歩いて行きました。
劇場前にはなんとダフ屋まで!今年はモーツァルト年ですし、モーツァルトのオペラはやっぱり人気なんですね。
実は前日の「後宮からの逃走」を同じペンションに泊まっていた夫婦連れが
どうしても見たいからとこのダフ屋からチケットを買って入ったそうですが、
35ユーロ(約5,000円)で買った席の正規料金は8ユーロ50セント(1200円)。
見えにくい部分もあったけれど、見られないよりはマシだったわ、と奥さんは
言っていましたが。
私は正規に劇場窓口で聞いて、チケットがあれば買う、なければあきらめて
見そこなっている博物館、あるいはもう一度、アルテ・マイスター絵画館で
絵画を見ようと思っていました。
果たして開演一時間前に劇場の前には数人の列。
いざ、チケット窓口が開いてみたら
「Bankplatz(バンクプラッツ・『ベンチ席』)しかありません。」
とのこと。
「ベンチ席、ってなんですか?」
「一番上の方の立ち見席です。」
「座れないんですか?」
「座るところもありますが、座ったら舞台は見えません。」
す、すごい席だな。3時間以上も立ちっぱなしでオペラ・・・どうしよう、
と思ったのですが、私のすぐ前に並んでいた東欧風な美人が
「大丈夫よ。私、その席で何度も見たことがあるの。それに今日は
そこなら4ユーロ(約600円)ですって。絶対お得よ!」
と私に片目をつぶって見せたので、よっしゃ、と私も2ユーロコインを
二枚だしてオペラのチケットを手に入れました。
一階、二階、三階席くらいまでは着飾ったお年を召した方々で一杯。
平日のマチネなので、観客層はほぼ、退職者か観光客に限られます。
さて私の席は・・・階段を上がること、五階分。
いわゆる「天井桟敷」というところでした。
劇場中央につり下げられたシャンデリアが大変よく見えます。この日はイタリア語上演なので、ドイツ語字幕がついていて、字幕を
映し出すスクリーンも見えますね。(黒い長方形のもの。)豪華な内装でいかにもオペラ、という雰囲気が味わえます。奥に見えるのは「世界初のデジタル時計」。現在はウラに機械が入っているそうですが、
オリジナルでは人が5分おきに「ぱたん」と取り替えていたようです。
左側のローマ数字が「時」、右側の数字は「分」です。
休憩時間を示す日本の劇場の電光掲示板よりもクラシックな雰囲気がステキ。
さて「フィガロの結婚」ですが、実は初めて見ました。チケットと同じ値段の
パンフレット(笑)にあらすじが載っていて、それを読みつつ鑑賞。
「序曲」を初め、有名な歌がたくさんあって、クラシック音楽に造詣の浅い私でも
耳になじみのある歌が宝石のように散りばめられていました。
私が勝手に「南平台(なんぺいだい)」と名付けていた歌もこのオペラの中から
だったと初めて知りました。いや、本当は「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」というの
だそうです。イタリア語には疎いものですから・・・。
「なんぺいだい、はるはろえ、あもろうぞう」ってなんだろうな、ってずっと思って
いました・・・。(本当はNon più andrai, farfallone amoroso)
今回の上演ではフィガロを演じたのはカメルーン出身で、ニース音大とパリの
コンセルヴァトワールに学んだジャック・グレッグ・ベロボ(Jacques-Greg Belobo)。
深いバリトンが天井桟敷にまで朗々と響き渡り素晴らしい。
監督はバグダッド生まれでイスラエル育ちというダヴィッド・ムフタール=サモライ
(David Mouchtar-Samorai)。
スサナとマルチェリーナを演じたのはどちらも地元ドレスデン出身のオペラ歌手でした。
地元の歌手にはカーテンコールでもより一層の惜しみない拍手が。
舞台は1950年くらいのイメージでしょうか、過激さが売りのベルリンのオペラの
舞台から見たら「非常におとなしい」部類。それでも
「なんだかモーツァルトっぽくないわ。コスチュームがねぇ・・・。」
なんて言ってる人もいました。
ドイツ人でもやっぱりコンサバな方が好きな人もいるようですね。
途中から空いていた隅っこのほうの席に腰掛けて見ましたが、上手半分は
まったく見えない席でした。姿は見えども音楽は素晴らしい・・・うっとり。
よく見たら切符売り場で私の前にいた東欧美人もちゃっかり座っていて、
私に気付いて、また片目をつぶって見せました。
さて、オペラが終わってそろそろとベルリンに戻る駅に向かって帰り支度。
途中のパン屋さんでドレスデン名物というケーキ、Eierschecke(アイアーシェッケ)
を買い、電車の中の不味いコーヒーと共に食べました。
・・・ケーキはおいしかったんだけどな・・・。]]>
ドレスデン・二日目
http://akberlin2.exblog.jp/1453111/
2006-03-27T03:54:00+09:00
2007-03-31T05:44:48+09:00
2006-03-27T03:54:10+09:00
akberlin2
Dresden
今回、泊まっていたところはドレスデンの中心、ツヴィンガー宮殿から近い
ポストプラッツからバスで20分くらい、雰囲気はちょっと郊外の住宅街で、
ほぼ普通の家。「民宿」というのがぴったりな感じもします。
(「ペンション」だったんですけどね。)
着いた日は部屋に案内されて、窓から外を見ても何も見えない。
真っ暗。住宅街だし、ドイツの家は防音、防寒のために二重ガラスの
窓がきっちり閉まるところが多いので、物音ひとつしません。
都会暮らしで夜中でも外がうるさいのに慣れている私には静かすぎるくらい。
翌朝、夜が明けてから外をみたら、その家の裏庭に面していました。(裏庭の様子)
その日は街へ出てまず戦後六十年を経てようやく昨年、落成式を迎え
再建されたフラウエン教会へ。元の教会は十八世紀の建物だったそうですが、
1945年2月13日、14日両日の爆撃の後、15日にすっかり崩れ落ちてしまった
そうです。正午からのオルガン演奏つき短い礼拝が素晴らしいと聞いていたので、それに
間に合うように、十一時半ぐらいに行ったのですが、すでに入るのに行列が。
そして入ってみると席がもうあらかた埋まっているくらいの人気。
正面祭壇は本物のバロック時代のものを廃墟から拾い集めた破片と再建時に
新たに作り直したものが見事に融合しています。
ただし、どこまでが「本物」でどこからが「再生」かがわかるように金の装飾が
古いものはつや消し(マット仕上げ)、新しいものはつや出し(グロス仕上げ)に
なっているそうです。
正午のオルガン礼拝は30分足らずの短いもの。
それに続いて、教会の簡単な歴史と内部装飾とについての解説もあります。
小一時間ですべて終わると出口のところで献金して帰る仕組みです。
フラウエン教会には出入り口が三カ所ほどあるのですが、出口のひとつの
脇にオリジナルの教会の屋根に載っていたのが落ちてしまった十字架が
飾ってあります。歪んでしまっているのがわかるでしょうか。戦禍を忘れない
ためのシンボルです。現在の新しい屋根の上の十字架は当時、街を爆撃した
イングランドから和解の祈りをこめての贈り物だそうです。
オルガン礼拝は素晴らしいものでした。オルガン演奏もさることながら、
美しく再建されたバロック教会内部で心洗われるひとときを過ごすことが出来ました。
次に訪れたのはゼンパーオーパー。ドレスデンのオペラ座です。ここも戦禍ですっかり消失したのですが、東ドイツ時代に今のユーロには
換算できないほどの莫大な費用と人々の努力によって再建されたそうです。
本当はこの日の夜にあったモーツァルトのオペラ、「後宮からの逃走」が
見たかったのですが、すでに売り切れ。開演一時間前にオペラ座内の
窓口で戻ってきた分を売り出しますよ、とチケットオフィスの人に言われた
のですが、翌日のマチネの「フィガロの結婚」に望みを託して、諦めることに。
代わりにオペラ座内見学ツアーに参加することにしました。
ガイドさんが一人ついて、十五人ほどのグループを解説しながら回ります。
新古典主義でイタリア風な内装は大理石をふんだんに使った豪華さ。
ただし、壁は大理石に見えますが、大理石の模様を描いてあるのだそう。
でも本物みたいなその技術。さすがです。(これは廊下の天井装飾。イタリア風な柄で統一。ちょっとスカーフみたい?)
この日はこの後、「ケストナーミューゼウム」にも行きました。
「点子ちゃんとアントン」や「エーミールと探偵たち」を書いた
エーリッヒ・ケストナーの博物館ですが、ケストナーのおじさんの家(だったかな?)
を改装した、小さな小さな博物館、展示館です。
行ったら職員の若い女性が出てきて、荷物はこちらへどうぞ、コートはここに
おかけください、とまるで個人宅に行ったみたいに言われ、入り口廊下に
並んでいるケストナーがドレスデン時代(彼はドレスデンで生まれ、ライプツィヒの
大学に行くまで住んでいたそう)に住んでいた家の写真などを見せてくれながら
短い解説をしてくれました。
展示スペースにはケストナーのいろいろな解説や写真が小さなカードになって
タンスの引き出し(!)に収まっています。訪問者は引き出しを開けて、ケストナーの
秘密を探る、みたいな面白い趣向。その引き出しタンスの合間合間に各国語に
翻訳されたケストナーの本も何冊かあって、日本語版がたくさんあったのには
驚きました。そういえば岩波から出ているケストナーの本は小学校の図書館に
揃っていた記憶があります。
カードや本は自由に閲覧出来るので、本の中の一冊、「わたしが子どもだったころ」
を(日本語で)読み始めました。冒頭部分はドレスデン時代の話です。
今日見て来たあたりの話、さっき廊下の写真を見てきた家のこと、お父さんが
腕のいい革細工職人だった話、等々・・・。
夕方六時の閉館まですっかり座り込んで読みついてしまいましたが読み切れず、
後ろ髪を引かれる思いでそこを後にしました。
展示館の塀にアルバート広場に面して座っている少年像がありました。
「わたしが子どもだったころ」にエーリッヒ・ケストナー少年が塀に腰掛けて、
アルバート広場を眺めるのが好きだったというくだりがあるのだそうです。
座っているのは少年ケストナーなんですね。途中まで中途半端に「立ち読み」してしまった本というのは続きが気になりますね。
「ドイツ語で買って読めよ。子供の本なんだからキミだって読めるだろう?」
とは後から相方に言われたのですが・・・高橋健二訳で日本語で読みたいよう。]]>
ドレスデン、一日目。
http://akberlin2.exblog.jp/1446528/
2006-03-26T22:03:16+09:00
2006-03-27T22:46:06+09:00
2006-03-26T22:03:16+09:00
akberlin2
Dresden
載せきれない写真が多くなってきましたので旅行記だけ
こっちに書こうと思います。
まずはドレスデン。
ベルリンから二時間半ほどの電車の旅。
電車はハンブルクからチェコのプラハまで行く国際列車でした。
午前9時半発の電車に乗って、お昼前にドレスデン到着。
ちょうど東京から京都、という感じでしょうか。
ドレスデンで最初に見つけてしまったのがコレ。このブログのタイトル写真としても使っていますが、「信号の人」がちっちゃい女の子
だったんです。これ、すごく珍しいんです。感動しました。
この女の子がいたのがドレスデン中央駅からまっすぐ伸びるプラハ通り。
なにしろ1945年2月13日の大空襲で焼け野原になったドレスデン、
中央駅付近はとても近代的な旧東ドイツふうです。
ドレスデンに着いて、まず見たかったのがラファエルのシスティン・マドンナの
あるアルテ・マイスター絵画館。あちこちで見かける、カワイイほおづえついた
天使ちゃんのいるあの絵、です。(コレね↓)私の中ではドレスデンと言えばこの絵、というくらい、もうこれを見なくては死ねないと
思っていて、何年も何年も前からホンモノが見たかったのです。
しかし、いざ絵画館について、絵を見はじめたら・・・。
あるわ、あるわ。
大判小判、じゃないですが、システィンマドンナ以外に「お宝」がざっくざっく!!!
そこで気がついたこと。
「どうやら私はイタリア絵画が好きらしい」。
実はこれまでの人生で美術館で感動のあまり泣いたことが2度あります。
一度はフィレンツェのウフィッツィ美術館。
もう一回はベルリンのゲメールデガラリー(絵画館)。
どちらもイタリア絵画のコレクションが充実していて、美しい初期ルネサンス、
盛期ルネサンスの絵画がたくさんあるところなのです。
そしてドレスデンのアルテ・マイスター絵画館もイタリア絵画が豊富でした。
お目当てのラファエルの他にジョルジオーネとティツィアーノの合作らしい
横たわるヴィーナスもいました!
そしてベニスの運河を精緻な筆致でたくさん描いて有名なカナレットの甥が
ドレスデンを描いた絵が3枚もあったんです。甥だけあって、筆遣いなどもとても
似ていたし、だいたい、甥も画家でカナレットと呼ばれていたなんて初めて知りました。
(ベニスの運河を描いて有名なおじさんはアントニオ・カナル・1697-1768。
甥はベルナルド・ベロット・1722-1780。ベロットのお母さんが元祖カナレットの
姉妹だそうです。)
それ以外に(イタリアではなくてオランダの人ですが)小品が多いと思っていた
フェルメールの大きめの作品が見られたり、レンブラントがあったり。
もう、かなりの感動でウルウル状態。
聞けば戦時中、しっかり爆撃されないように保管して守ったそうで。
よかった、よかった。これだけの名画の数々が、あのドレスデン爆撃で
失われていたら、本当に人類の損失です。
絵画館はツヴィンガー宮殿の中にあります。絵画館の窓から宮殿中庭を
見るとこんな感じ。雪が残っていますね。まだちょっと肌寒かったです。
バロックふうの美しい宮殿ですが、そういうわけで戦後の再建だそうです。
この日は美術館・博物館共通一日券を買ったにも関わらず、
アルテマイスター絵画館にハマってしまい、それ以外は陶磁器コレクションを
さらっと見回して、数学物理学サロンをちょっと眺めて終わってしまいました。
数学物理学サロンの二階に、戦禍で失われた16世紀の「クマの仕掛け時計」が
展示してありました。壊れた台座に傾いたクマがなんとか原形を留めて乗っかって
いました。そばに在りし日(戦前の?)の写真があるのですが、クマ使いが
立ち上がったクマを踊らせるような仕掛け時計だったらしいのですが、戦後に
見つけ出された状態ではクマ使いの姿はなく、クマも壊れて無惨。
ツヴィンガーは美しく修復されて、戦禍の痕をあまり感じさせないのですが、
その壊れた小さいクマ時計は戦争の恐ろしさを如実に物語っていました。
クマ好きの私にとってはもっとも心の痛んだ展示でした。]]>
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